BEYOND
1993年、BEYONDのリーダーでボーカルだったウォン・カークイ(黄家駒)のあの突然の事故死、よりによって日本のバラエティーの撮影中に亡くなったことがあまりにも衝撃だった。本当に「これから」だった。
香港でのデビュー当初は、アイドルグループで、はっきり言って「なんじゃこりゃ」のレベルであった。しかし、ウォン・カークイが自分で曲を作り、時には、中国的な旋律を曲に取り入れ、またその歌詞もどんどん深くなっていく。
「大地」など、次々とヒット曲を出していく。そしていつの間にか香港を代表するロックグループになっていった。
香港を制覇し、1992年にいよいよ日本での待望のデビュー。
「進め!電波少年」の特徴のあるあのオープニングの音楽は、彼らの曲、「長城」のイントロだ。ちなみにあのイントロのシンセサイザーを担当していたのは、あの「喜多郎」だ。
この曲を始め、彼らのいくつかの代表曲に、日本の訳詞がついて、彼らは日本語で歌っていたが、その日本語歌詞が余りにも本当の彼らの本当の素晴らしい深い意味の歌詞とかけ離れていて当時かなりあきれていた。まあ、日本で売るための戦略でそうしていたのかもしれない。ただ、彼らも、なにかの雑誌で、日本語の歌詞について、「よく意味がわからない」という皮肉ぽいことも言っていたのだが。そしてその翌年にあの悲劇が起こったわけだ。
しかしながらその後2013年に「BEYOND」という名前をネットの新聞で見た。あの偉大な南アフリカ共和国のマンデラ元大統領の訃報の時だ。実はマンデラ元大統領が1990年に釈放された時、それに感動したウォン・カークイが「光輝歲月」という曲を書き上げ、翌年リリースし、ヒットしたのだが、マンデラ元大統領が病床の中、この曲を聴いていたという報道であった。自分のことを歌詞にして歌っているこの曲を本当に気に入っていたのだろう。
ウォン・カークイは天国で、生前人格者できさくだったマンデラ元大統領と談笑しているのかもしれない。



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