ショックを受けた80年代の香港

海外

達明一派(ダッミンヤッパイ)

彼らは香港のグループなので広東語で発音するとこうなるのであるが、日本人はよく彼らのことを英語かよくわからないが、ダッミン・ペアと呼んでいるようである。

80年代後半、私は会社の転勤で香港にいたが、当時日本では、香港の音楽の情報など全く入ってこない。だからどういうものか全く知らなかった。個人的には当時の日本のロックには失望していた。なぜ、欧米のようなタイプのPOPでメロディアスな、悪い意味では商業的かも知れないけれども、ロックグ ループが出てこないのかと思っていた。その意味、当時はまださほどメジャーではなかったBOWYに期待していたひとりで、香港に行った時は、まだそういうグループ がメジャーになる兆しが出始めたころで、その後のイカ天とかのブームの前である。日本ですらこうなのに、香港ではどうせもっと程度が低いものであろうと考えてい た。

しかしその偏見は一気に吹っ飛んでしまう。達明一派(ダッミンヤッパイ)。当時、新曲を出す度に香港のチャートでは必ず即1位。(と、言っても香 港でシングルを見たことないが・・・)2人組のユニットで、サウンド的には最初は「ウルトラヴォックス」に影響を受けたようなサウンドである。だが劉 以達(タツ・ラウ)の音楽性は凄く、それだけにとどまらず、色々なタイプの音楽を貪欲に自分達の音楽の中に取り入れ進化した。特に名曲「石頭記」などは、 中国の旋律を西洋的にアレンジした名曲だと思う。

メンバー結成は1985年。サウンド全体を作り上げている劉 以達(タツ・ラウ)がボーカルを募集。甘いマスクの黄 耀明(アンソニー・ウォン)を採用。まさに全く同時期に出たペットショップボーイズの「Opportunities」さながらのユニットである。今でこそ このパターンはよくあるが、当時このようなユニットは日本ではそんなに存在していなかった。

で、第一線で活躍していくのであるが、結局、90年にちょっとへんだな?のラスト1曲(「十個救火的少年」)を出し、惜しまれながら解散。甘いマスクのアンソニー・ウォンに黄色い声援をする女性ファンは昔から多かったが実は彼はゲイであった。解散後ずっと後の雑誌のインタビューなどによると、本当はゲイであることをはやく世間に公表したかったが当時まだできない時代で苦悩されていたようだ。)
その後それぞれソロで活躍。96年に再結成された。
2人ともよく香港映画には出ている。甘いマスクの黄 耀明(アンソニー・ウォン)はわかるが、劉 以達(タツ・ラウ)は?とか思うが、昔から時代劇などでなかなか渋い師匠役を演じていたりした。

彼らのいくつかの名曲はいまだに愛されているのをみても、い かに彼らが80年代において時代をリードしていたかは明らかで、後のかなりの香港アーティスト達に影響を与えたのだが、もっと早く日本でも紹介されるべきアー ティストであった。

96年に再結成されたために、その後については紹介しているホームページも多い。特に黄 耀明(アンソニー・ウォン)は日本でもファンは多いようだが・・・。でも当時の全盛期の彼らの姿やTVでのライヴなどみることができた私は幸せ者だったように思える。

おすすめの曲は先述した、最初のイントロが印象的な「石頭記」、あれ?エマニエル婦人?まあまあ・・・、でもこの曲も好き「馬路天使」、涙!涙!の「禁色」、テクノ「今夜星光燦爛」、インパクトが強い「天問」など・・・・。

そしてもう一つ忘れていけないグループがいる。BEYONDだ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました