子供の頃、いつだかは忘れてしまったが(1970年代だとは思うが)、たまたま夜起きたら親が、当時日本テレビ系列でやっていた「11PM」を見ていた。その日は確か故藤本義一氏の司会の日だったと思うが、津軽三味線の特集であった。今ではテレビで不可能な「お色気」の回ではなかったので、それをちょっと見ることが許可されたが、まだ高橋竹山(初代)が生きていた頃 で、当時、彼の演奏から津軽三味線ブームがまきおこるのであるが、その最初の頃の特集であった。子供ながらもその時見た三味線の音色の素晴らしさ、早弾きの凄さは未だに覚えて いる。
通常、津軽三味線は、弾くことを「たたくもの」と表現するのであるが、その時、高橋竹山はあくまで、「弾くもの」とこだわって表現していたと記憶している。
後、新藤兼人監督の映画「竹山ひとり旅」で高橋竹山の生涯(映画では半生)の波乱万丈の人生を知ることができるのであるが、まさにその人生が三味線の音色に表れている。
やはりこれもかなり前の話になるが、「吉田兄弟」の登場などで、そのずーっと後に、再び津軽三味線のブームが起きた時、高橋竹山の津軽三味線の演奏が無性に聴いてみたくなりCDを探して買った。その頃、見事 な早弾きをよく聴いたせいか、思ったほど早くはないなと感じた。ただリズムは正確で、確かに「弾く」との表現通りで、そのCDを初めて聴いた時は真夏だったのであが、聴いていくと急 に寒く感じる。演奏に青森の寒さや雪の風景を感じてしまうのだ。その頃の津軽三味線ブームの「音」とは違った、明らかに厚みのある「音」の凄さだった。
日本には間違いなく昔、いろいろなものに「本物」があった。いつの間にか、それをまねた「もどき」のものが氾濫してしまっているような気がする。その違いはたぶん培われた「基」や「深み」が違うからなのだろう。しかし、いつの間にか「本物」が「もどき」の中に埋もれて、気が付いたら「本物」がなくなってしまっている。それは「進化」ではない。単に知らない間に「入れ替わった」のかもしれない。
何かこの10年あまりの「日本」の弱さの原因がわかったような気がした。
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